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Miscellaneous​

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suzurimon光彩拡散(圧縮)
suzurimonクレヨンのコンテ(圧縮)

 すずりもんのモデルなった硯は「老坑水巌大西洞硯板」だ。

 管理人が初めて買った、そして今でもいちばんのお気に入りの硯である。

 端渓硯の中でも「老坑水巌」の石質が最も優れているという。その坑道の最深部にある「大西洞」で採掘される硯材は「老坑水巌大西洞」とか、単に「大西洞」などど呼ばれ、「水帰洞」と並ぶ特上品だ。

 「硯板」とは硯の形状のことで、いわゆる墨をためる海や墨をする丘のない平板な硯を指す。サイズは小さくても硯面全体で墨を磨ることができる。つまり墨をする面である墨堂だけからできているのが硯板だ。

 硯は当然ながら加工した分だけ石材が削られる。削られた材は二度と元には戻らない。石材全体がどこをとっても優れたものであるならば、海、丘、装飾などは一切なくし硯板として仕上げることで、その上質な石材を最も無駄なく生かす作硯が可能になる。日本の硯の場合、作硯にも付加価値を見出すことが多いから、あまり多い硯式ではないかもしれない。

 若いころ筆墨店の店長からこんな話を聞いたのを記憶している。中国の腕の良い製硯師がめったに出ないような良質な石材に出会った。そこで、これまでにないような硯に仕上げようと硯材をにらめっこする日々が続いた。しかし、石材を見れば見るほど材の隅から隅まで非の打ち所がない。結局その製硯師がこれしかないと判断したのが硯板という選択だったという。

 優れた素材に人の手は不要―そう結論づけた製硯師の話を思うにつけ、一級の目利きが取った削ぎ落された究極の用美の在りように感服のすることしきりである。

 この話は日々書作をしている自身に幾度となく教訓と与えてくれている。書作の中で難しいのは「何かを加えること」ではなくて「何かを削ぎ落とすこと」だ。

 同じ作品を繰り返し書き続けていると無駄な装飾や誇張が増えてくる。人は得てして「これが『あった方が』良くなる」と思いがちだ。逆に「これを『削った方が』良くなる」と考えるのも、ましてや実践するのも前者に比べてはるかに困難だ。あれもこれもと味付けを加えられた作品は、脂ぎった味付つけの濃いラーメンを目の前に出されたようで見ているだけで胃もたれがしてくる。しかし、哀しいかな、作る側がはそれで良くなったと思っているし、舌が麻痺した作り手にはそれに気づく由もない。

 話を元に戻そう。硯板は削ぎ落された究極の用美があるといえる。そんな考えもあって、管見ではあるが、迷ったら硯板という考えが長く心の奥底にある。もちろん優れた彫刻が施されることで価値が高まる場合も当然あるだろう。が、その場合でも優れた職人であればあるほど鑿(のみ)を入れるのは石質として劣る部分だとういうことは間違いない。石質の最もよいところを墨堂にしない製硯師などそもそも論外である。

 上の2つのすずりもんのキャラクターが実際にモデルになった硯材実物の石紋に近い。硯の上部の灰色がかった紫色の部分はいわゆる老坑水巌に広く見られるが、もっとやや青みがかかると天青と言われ、より上質な磨り心地が得られる。大西洞の天青は非常に深みがあり、一目見ただけでも他の坑道で採掘される硯材の天青とは一線を画している。

 下部に見られる白みがかった部分が魚脳凍である。実物は画像よりも深みがあり、幾分黄色味がかった色合いで、触ってみると赤子の肌のようで何とも心地良い。魚脳凍の見られる材は上質の中の上質の証しでもある。

 硯材が生成されるには4億年の歳月を要するという。そんな気の遠くなるような年月をかけて天青、青花,魚脳凍,蕉葉白、金線、銀線、翡翠斑などの様々な石紋が生み出される。

 老坑水巌は大きな石材は採れない。採れた石材にも石疵、つまり質の悪い部位は少なからず見つかることが殆どだ。その中で目立った石疵がなく、かつ上質な磨り心地が得られる石紋が見られる石材はほんの一握りでしかない。そんな稀なる材の良さを最大限に引き出しているのがまさにこの硯板という硯式だろう。

 「削ぎ落として生かす。」手のひらにほどのこの小さな硯石は、計り知れないほどの重みをもった「何か」を自分に教えてくれている。

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