
(※註)サイト閲覧者より、本頁に記載した入賞数と各々の受賞作の作品内容について質問を受けたので、自身の書や作品発表へにおける在り方や目指す形を含め、当面の間、当サイト主の返答を当面の間以下に補記しておく。
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これらの入賞数およびその作品内容については、書き溜めによるもの、つまり、もともと一つの作品として制作している過程で複数出来た「実質的に同一といえる既出作品」を、複数の書展にばら撒き的に転用して出品することで賞歴の数を積み上げるという方法は一切行っていない。
本サイト主は、発表作・未発表作を問わず、年間およそ50~60種類程度の新作を手掛けており、基本的に各種書展にはそれらを寄せている。言うに及ばず、賞歴に記されたすべての作品が各々「新作たる別個の作品」として出品され評価を得たものである。ここでいう「新作たる別個の作品」の定義とは、詩文や文言、書体、作品サイズ、コンセプトなどを変えて制作し、自身の過去作と重複しないものとして発表された個々別々の新しい作品であることを意味する。補足すれば、同一作を制作する過程で出来た修正・調整レベルの微細な差異をもって別作と見なすことはもちろん、同一作を期間を置いて輪番で出展するという抜け穴的な手法による経歴の積み上げにも一切与しない。
大規模中央書道展の所属者の多くは、それらの書展への出展作品の準備を中心に年間の計画等が組まれ、一つの書展の作品の制作に数か月あるいはそれ以上をかける書き手も多く見られ、自然、寡作となる場合が少なくない。が、同時に、彼らのほぼすべてが、作品が結果的に日の目を見ようと見まいと、一展一作(本稿では「一つの展覧会の開催ごとに新たな作品を制作すること」を意味するものする)として出展するごとに新作を手掛けている。大規模中央書道展の入賞・入選に関する制度的慣習の良し悪しは別として、書作におけるこの姿勢は、書き手あるいは展覧会への出品者として最低限のあるべき姿と考える。
本サイト主は、大規模中央書道展を退いて個人出品者に転じたのを機に、比較的多作に転じたわけだが、それに際して一展一作を捨てることなく、ひとりの書き手として、また、一出品者として最低限あるべき姿を守りつつ多作に挑み続ける途(みち)を選んだ。本サイトに記されている賞とその数は、かかる歩みの足跡である。
また、本サイト主は、ひとりの書き手あるいは一出品者として、評価や賞を得ること以前に、個人出品者にも広く門戸を開いている書展の審査員・運営者各位、ひいては観覧に訪れるすべての人々に対して最大限の敬意を払うことこそ第一と考えている。自身の道義、道徳、倫理等と照らし合わせてそうした書展への敬意というものについて勘案したとき、既に一定の評価を得た実質的同一作品を再三再四転用したりばら撒き出品することは、そもそも本サイト主の描く敬意の在り方や示し方と相容れない。この意味においても、本サイト主は、書展に臨む際、常に最新作を寄せるべきという考えのもと、一貫して今日までの活動を続けてきた。
以上、自身の書や作品発表の在り方や向き合い方を含めた、入賞数と各々の受賞作の作品内容についての返答はここに記すとおりである。
最後に、個人出品者における「実質的同一といえる既出作品」のばら撒き出品や転用出品の横行について当方の所感が求められたが、その点については、あくまでその人その人の「書の道」の在り方の問題以外の何ものでもなく、当方の関与すべきところではないので、本サイト主の目指す形を記した下記の文言をもって返答に変えさせていただきたい。
以一作得百奨、是邪心也。以百作得一奨、是誠心也。
合掌九拝 すずりもん(硯家紋志)