
すすずりもん(硯家紋志)
書家、書道家。宮城県生まれ。宮城県石巻高等学校卒。東北大学教育学部教育学科卒(学部卒業生首席総代)。東北大学大学院教育学研究科博士前期課程進学、同課程修了。東北大学大学院教育学研究科博士後期課進学、同課程単位取得満期修了退学。
6歳から書を始める。宮城県高等学校書道展で最高賞の推薦賞を3年連続受賞。20歳のとき国内最大の中央書展に初入選。24歳のとき同展漢字部において鑑別点満票で公募部門最高賞。27歳、同じく鑑別点満票で2度目の公募部門最高賞。他に、詩文書(調和体・漢字かな交じり)部で次席賞1回。地元の近隣都市開催の美術展では最高賞の市美術展賞、次席賞の市長賞など入賞6回を経て、20代で無鑑査会員。
18歳のときからいわゆる大規模中央書展に属したが、その一方で、斯界の権威主義、師系主義、団体の数的優劣による入賞・入選数の配分や役員・審査員数の傾斜割り当てなど、真・善・美の追求とはおよそ相容れない組織的体質や慣習を目の当たりにし、自身が描く書芸術の未来像や書人としての理想像との隔たりの中で次第に葛藤を余儀なくされる。
その折、2011年、東日本大震災で被災。生と死のはざまでの体験が「奇しくもこの先を生きることを許された者として進む道」を再考するきっかけとなる。結果、組織に属さないひとりの書き手として歩む道を選ぶ。所属団体に雅号を返還して辞去、また、すべての大規模中央書道展を退会。以後、本名にて活動。
独立の皮切りとして、震災復興祈念書作展「ふるさとに立つ」開催。同時に、観覧者の多くが関係者で成り立つ「書展のための書展」ではなく、ふだん書に関わりの薄い衆目にも広く触れるような「人々に開かれた書展」に活動の場を移す。独立以降の各種書展での賞歴各賞については、団体への賞分配に依拠しない、個々作への一定の評価たる栄誉として深い謝意のもと拝受している。主な出展の場として、寺社や公的・私的諸機関などが開催する書展や地方展など。
個人出品へ転向以降の最近十余年の賞歴として、第35回高円宮杯日本武道館書写書道大展覧会で高円宮賞、同第33回展で内閣総理大臣賞受賞。他に衆議院議長賞2回受賞(本賞含め、既述の賞は全て一般部全国第一席)。第56回伊勢神宮奉納書道展で条幅の部で最高賞の文部科学大臣賞を受賞。翌年鑑査員に昇格。第48回近江神宮全国献書大会で最高賞の文部科学大臣賞、同第54回展で2度目の文部科学大臣賞。他に次席賞の近江神宮宮司賞3回など。同神宮での神前揮毫拝命は計9回。熊野古道全国書道展では初出品から3年連続最高賞の知事賞を受賞(3年目は、最高賞と次席賞を同時受賞)。左記受賞歴による特例をもって、無鑑査作家を経ず委嘱作家へ。他に、日本武道館主催全日本書初め大展覧会で文部科学大臣賞、葛飾柴又全国書道展で葛飾柴又帝釈天賞2回、大阪梅風会全国書初め展覧会で大阪天満宮宮司賞6回、高良山書道展で高良大社宮司賞、蘭亭書道展で中国駐福岡領事賞など、最高賞の受賞数は30以上にのぼる。次席賞として、比叡山競書大会で比叡山天台座主賞3回、長良天神書初め書道展で総務大臣賞他。その他、知事賞受賞10回をはじめ、書展での名付け賞(特別賞)の入賞数は130以上(※註)。
現在の役員及び推挙は、前述の伊勢神宮奉納書道展鑑査員、熊野古道全国書道展委嘱作家の他、全国千字文大会出品委嘱審査委員、蘭亭書道展無鑑査作家、諸橋轍次記念館書き初め大会 招待作家。これらの役職や推挙についても、すべて「所属書道団体なし」の「個人」として拝受・在任。
航空自衛隊松島基地作品収蔵。東松島市作品寄贈、同市中学校作品寄贈。高知県安田町より作品買上・永久収蔵2点。
東松島市市政功労者・特別功労教育文化功労者表彰3回。同大臣賞受賞者招待1回。
翔泳社『和年賀状』特集「人気作家の年賀状」掲載。茨城美術新聞出版部刊『後世に伝えたい:現代にっぽんの書』作品掲載。
大学での研究者時代は、米国教育史および教育行政論をもっぱらとする。発表論文として「ホレス・マンの教育統治機構観念と宗教教育の意思決定原理-中央教育統治機関組織化の非官僚主義的側面-」(東北大学大学院教育学研究科研究年報第49集)、「ホレス・マン州教育長期における地域属性構造と宗教教育の意思決定原理との相関」(東北大学教育学部研究年報第47集)他。2003年に発生した宮城県部連続地震で自宅が全壊したことにより研究室を退いたが、個人事業主となって以降も、事業や書活動の傍らでライフワークとして同分野の学究を続ける。
地方紙『石巻かほく』コラム「つつじの」全9回執筆。