後継さがし
- すずりもん

- 2月14日
- 読了時間: 5分
更新日:3月19日
4月まであと半月を切った。ブログ主はこの時節になると新しい暦を探す。年末年始に暦通りの休みがある仕事ではないので、年越しとともに暦を変えなけければならないのは不便が多いのだ。そういう訳で、暦は4月初めの年度版のものにしている。
4月始めの暦となると、もともと販売されている数も限られる。その中で、エトランジェ・ディ・コスタリカというメーカーの暦が使い勝手が良く、しかも、無駄のない洗練された意匠も気に入っていたので愛用していた。
ところが、今年はエトランジェ・ディ・コスタリカの暦が見つからない。調べてみたところ、それもそのはずだった。メーカーが廃業してしまっていたのだ。

残念だが愛用の暦を手に入れることはかなわない。という訳で後継さがしが始まったわけだ。表題の「後継さがし」を見て書道の後継の話と思われた方、悪しからず。ブログ主には師も弟子もいないので、後継とは縁もゆかりもない。本記事の「後継さがし」とは暦のそれだ。
そんなわけで、急きょ暦の「後継さがし」をしなければならない羽目になった。もっとも、正直なところを言えば、エトランジェ・ディ・コスタリカのような暦が見つかるとは期待していなかった。大抵、暦と言えば,もっとビビッドな色遣いだったり、数字が大きくと書かれているというのが相場だ。暦の「用美」の「用」を考えれば別段おかしなことではないが、主としては出来れば空間に馴染む「美」の部分も捨てがたい。
多少はネット検索をしてみたものの、案の定、これといった暦は見つからない。もっと時間をかけて丹念に調べればそれらしいものもあるのかもしれないが、期待薄の暦探しにこれ以上時間を取られているくらいなら、いっそのことエトランジェ・ディ・コスタリカの暦を真似て自分で作る方が手っ取り早い。そんな結論に至った。
一から暦を創ろうとすればそれなりの手間も労力も必要だろう。が、エトランジェ・ディ・コスタリカのそれを「真似る」のであればさしたる苦労はない。ちょうど書作がそうであるように、「真似る」など少々の技量さえあれば別段難しいことではない。ブログ主の若かりしときを振り返るに、大規模中央中央公募展に出品し始めて数年は、手本を拝むようにして七言律詩56字の漢詩を毎年500枚程度は書いていた記憶がある。恥ずかしながら、当時はまだ手本を真似る技術すら未熟だっだからだ。それが4年、5年と過ぎると、手本の真似をするだけならさして苦労もなくなる。10枚かせいぜい15枚も書けば十分というようになる。それ以上書いたところで、似たり寄ったりだし、画仙紙の無駄にしか思えなくなる。「手本」という虎の巻、もっと言えばカンニングペーパーがあるわけだから、自作するときと違って、根本から壊して作る直す必要が生じることなどない。言うなれば、カンニングペーパーを片手に解答用紙を埋めるだけのことをするのに何百枚も書き直す必要もない。そんなことをしたところでただの時間と労力の無駄でしかない。
対照的に,自作しているときは、壊しては創り、創っては壊しの繰り返しになる。しかも、書においてはいくら考えても突き詰めても正解は永遠に見つからない。考えれば考えるほどに自分でも分からなくなるし、作品を吊るしたままそれを眺めて何日も悩むこともある。出品するときもそうだ。果たしてこれで良いのか、そんな気持ちがが消えることなく作品を送り出すことがふつうだ。その分、今の自分の持っている技術や発想、古典習練の蓄積を尽くして創ったという充実感は計り知れない。同時に、自作ではまさに出品までが自分との闘いだから、その先の結果のことなどほどなく忘れてしまう。「創る」と「真似る」はかくも異なるものだ。
さて、ブログ主はお気に入りの暦の後継を作ろうとしたわけだが、それは単に後者の「真似る」という作業をしようというだけのことである。たいそうなことではない。実際、作業すること小一時間程度で後継のエトランジェ・ディ・コスタリカ「もどき」の暦ができた。小一時間とは言っても、労力の半分近くが各月の日付を貼り付ける作業と1年分の祝祭日の確認の時間だ。なお、上がエトランジェ・ディ・コスタリカの暦、下がエトランジェ・ディ・コスタリカの「後継」という名の模倣作だ。


これで終わりでもいいかなと思ったが、ひながたができれば手を加えるは簡単だ。ということで、来月4月から来年3月までの分を印刷する前に少々手を加えることにした。サイズをA4からB5に変更。メモは不要なので削除。その分、日ごとのコマを大きくして余白を確保。月初と月末の空欄にはいつも手書きで日付を入れていたので、最初から書き込み済みに。暇があれば六曜を入れておけばそれなりに役に立つかもしれないが、さすがにそれを入れる労力が利用頻度に見合うとは思えないので却下。左右の枠線が無いのはなかなか特徴的で面白い意匠だったが、今回はありきたりな形状になることは覚悟の上、メモの書き込みやすさを優先して左右も枠線ありに変更。出来た暦はこんな感じ。

後継の暦として私的に利用するにはこの程度で十分だろう。気になる点が出てきたら修正して印刷し直せばいい。ひながたが出来上がった上での手直しなどものの数分である。
12か月分を印刷し終わった時点でトータルで1時間半くらいだっただろうか。休日に少しできた空き時間のちょうどいい手すさびになった。「真似る」というのは所詮この程度の仕事でしかない。無論、書においても然りだ。
