サンワサプライ シンプルデスク
- すずりもん
- 3月3日
- 読了時間: 5分
更新日:4月14日
書室の作業台と収納と兼ねてサンワサプライ(SANWA SUPPLY)のシンプルデスクを3台購入した。
ブログ主の書室は約14畳でやや特殊な形状をしているのだが、短辺で3510㎜の壁面があるので、そこに1400㎜幅を2台、700mm幅のデスクを1台設置したところぴったり収まった。画像では小さく見えるかもしれないが、デスクの奥行きが600㎜なので、600㎜×3500㎜のスペースが確保できた。

これらのデスクは書室での作業台や収納を目的に導入したので椅子は不要だ。このスペースだと1400㎜幅のデスク2台に縦約1350㎜半切作品を2枚を横に仮り置きできる。さらには、それらを並べても幅700㎜のデスク分が丸々空いたままなる。

奥行きについては、450㎜というラインナップもあって、そちらの方が圧迫感がなかっただろう。幅約350㎜の半切作品の仮置き場として考えても奥行き450㎜で十分ではあった。が、市販の収納ボックスやコンテナボックスには奥行きが600㎜前後のものが多いので、デスク下の収納を見込んで600㎜幅のものを選んだ。それから、このデスクの上で奥行き500㎜弱ほどのある機材を使用したいというのも理由のひとつだ。
ブログ主の書室にはおよそ約12畳分のスペースに毛氈が常時敷かれたままになっている。作品を書くと順に毛氈の上に置いていく。作品が乾くのを待たなくてもいいし、並んだ作品を見て修正したい箇所を確認しながら作品をつくることができるのでなかなか便利だ。書室には6m弱のワイヤーも張られているから作品を掛けて見ることもできる。あとは、仕上がりの優劣に応じて今回購入した作業デスクに選別しながら移動―というもくろみだ。制作の初期段階の作品から出来の悪いものを廃棄していくという人もいるかもしれない。ブログ主は、作品を書き込んでいるとあれもこれもと詰め込み過ぎることがある。デフォルメが過剰になったり線や作品が倦(う)んでくると、最初の頃の作為のない作品の方が良かったということになる。すると、また最初から作品を作り直す。だから、ブログ主はひとつの作品が完成するまで基本作品は一時保管としている。そんなわけで、作品の仮置き場は長く所望していた環境のひとつだった。
上でも述べたが、床が真っ黒になのは敷きっぱなしの毛氈のためだ。実は毛氈の下にも黒のタイルカーペットが敷かれている。もともとは家庭用の木目の床材でできている部屋ではあるのだが、墨を使うことが多いので業務用の黒のタイルカーペットを敷き詰めていて、さらにその上に毛氈を敷いている。常時墨を扱う人間にとって黒い汚れへの対策は欠かせない。

このタイルカーペットだが、以前は比較的安価な家庭用の製品を使っていた。しかし、2、3年もすると頻繁に歩く部分だけ毛足がへたってしまう。部分的な毛のへたりは見た目が悪いので、そこを交換したり、年数によっては全面を敷き直ししたりしていた。
しかし、コロナ禍で巣ごもり生活をしていたとき、業務用のタイルカーペットに変えてみた。タイルカーペットの表面の手触りはかなり固めだが、ホテルのフロントなど、土足でも使えるような仕様になっているらしい。固めとはいっても、素足でもさらっとしていて足触りは決して悪くない。何より、業務用に変えてから屋内で使用して3年以上が経過したが、全くといっていいほどへたりがない。少々金額は張ったが、長持ちするし、交換とか買い替えの手間も費用も省けるし、見た目も綺麗なままだしとメリットが多いようだ。
今回のデスクの色を黒にしたのも、カーペット同様に墨対策だ。明るい木目の床に白いデスクでも置けば明るくて広々とした印象になるのかもしれない。しかし、どこかしら墨で汚れる恐れがあるから、明るい色は自分の書室での使用には適さない。
かといって仕方なく黒を選んでいるのかと言えば、そういうわけではない。書室とは別のブログ主の書斎の調度品は黒、白、グレー、シルバーが多く、黒はむしろ好きな色だ。

一般的な部屋づくりのセンスから見れば暗くて重い色味がどうかと思う人も多いかもしれない。しかし、ブログ主の実用性においてはこれが合理的、かつ好みに合った選択である。もっとも、基本的に書室に人を招き入れることは皆無だから、自分が良いと思えば一般的な部屋のセンスとかは気にすることもないのも事実である。実際、家族以外で主の書室に入ったことがある人はいない。
なお、デスクの下はコンテナボックスとか画仙紙とかの収納場所にする予定だ。画仙紙は湿気を嫌うから床置きよりも高めところの方が良いのだろうが、主の書室は2階でそもそも湿気が低いからたぶん問題ないし、これまでも画仙紙が劣化して困ったこともない。多少注意して保管しているのは1990年代生産の紅星牌くらいだ。これは乾燥した暗所に別途保管している。

モノが増えてくると「持たない暮らし」というのに魅かれることことがままある。こざっぱりしていて生活が軽快で清々しい感じがする。が、書というものと関わっていると紙も墨も筆も硯も印材も―と消耗品や必需品だけでも自然増えてくるし,減らそうにもそれらの用品や道具無しではまともな仕事ができない。「持たない暮らし」ではなくて、「足りない暮らし」になってしまう。
そんなわけだから、いましばらくはこざっぱりした部屋とは縁遠そうである。このあたりは「そういう生き方」と割り切っていこうと思う。