しのぶれど~「めぐり」に登場(1)~
- すずりもん

- 7月1日
- 読了時間: 8分
更新日:11月3日
映画『ちはやふる』の10年後の世界を描いたドラマ『ちはやふる―めぐり―』が放映中だ。
映画『ちはやふる―上の句―』『ちはやふる―下の句―』が2016年3月と4月に上映開始、『ちはやふる―結び―』が2018年6月からの上映だったから、三部作が完結してから実際の時間でも7年の歳月が流れたことになる。
ブログ主がコミック『ちはやふる』を知ったのは映画の最終作『ちはやふる―結び―』が上映された年である。その年、主は初めて近江神宮を訪れている。もともと本作含めコミックや最新映画の情報には疎いが、境内のいたるところに『ちはやふる』の映画やコミックに関する掲示や展示があったことでその存在を知るに至った。同神宮を訪れたのをきっかけに、既に38巻まで刊行済みだっただろうか、だいぶ遅れてこのコミックのストーリーを追い始めた。
登場人物らも何人か知るようになった。主人公・綾瀬千早は情緒豊かで人の集う、良くも悪くも「いかにも」な主人公らしさをもって描かれているが、千早に立ちはだかる役どころのクイーン・若宮詩暢には陰も毒もある。しかし、実際のかるたに対するストイックさにおいては、ある意味詩暢が作中一ではないだろうか。「それしかない」と自覚している者にしかない鬼気迫る姿には何とも魅かれるものがある。
そんなわけで、映画『ちはやふる』三部作の10年後と聞いて、ブログ主のいちばんの関心事は若宮詩暢の10年後だった。が、第二首を終わった時点で出演はないようだ―と思っていたところ、ドラマのひとコマに詩暢が登場していたらしい。とはいっても、ドラマの中のYouTube画面に現れた詩暢のチャンネル「しのぶチャンネル」のサムネイルとして―たったこれだけだが。

ところが、興味深い情報があった。

サムネイルには「永世クイーン」とある。コミック本編は詩暢は4連覇を千早に阻まれたところで終わっていたかと思う。永世クイーンは通算5期と定められているそうだから、どうやら詩暢はその後の10年で少なくとも2回クイーン位に返り咲いて永世クイーンの称号を得たようだ。
ドラマ的にというか、主人公的にというか、その後は千早が新クイーンとして前クイーンの詩暢を圧倒し続けるという世界線もあるかと思った。しかし、このドラマが描く世界ではそうではなかったようで、「永世クイーン」となった詩暢にはいたく得心するところがあった。
コミックやドラマでは主人公が覚醒された強さで描かれることがままある。分からなくはない。そんな瞬間風速的な強さの方がドラマチックだし、下剋上とか判官びいきとか、そういう受け手の願望にも合致しやすい。3回負けようと5回負けようと、最後に1回勝てば主人公の勝ちになる。しかも、それが対決の「結末」として描かれることはコミックやドラマではよくあることだ。多分に漏れず、コミック『ちはやふる』も千早が詩暢に初めて勝利したところで物語は完結する。
作中の千早は決して頭脳明晰とか高潔無比な人物として描かれているわけではない。しかし、クイーン戦と大学受験を並行するなど、存外物ごとをそつなくこなす一面もある。その上、詩暢の力量に追いついていく成長過程を鑑みると、天才肌とまで言って良いかどうかは置くとしても、かるたにおける天賦の才は詩暢以上なのかもしれない。
片や詩暢はパン屋でバイトしても3日でクビになるなど、物ごと全般に不器用だ。生き方そのものが決して上手とは言えない。
そんな詩暢という人物を象徴する言葉として、バイトをクビになった日に祖母の前で放った言葉は非常に印象的だ。「かるたしか好きじゃない」「かるたしかできん」。

そんな詩暢に祖母は言う。「世界で一人目のかるたのプロになりなさい」

ここでの「プロになりなさい」という言葉は、言うまでもなく、その道で稼いで生きてみなさい、ということを意味するのだろう。同時に、「プロになる」ということは、それを名乗る以上負けられない世界に身を置くということでもある。その言葉を受け入れた詩暢は「かるたのプロ」になるべく試行錯誤を始める。まさに本ドラマに垣間見られた「しのぶチャンネル」の開設は、コミックのストーリーでは、詩暢がかるたや自身を知ってもらうための活動の第一歩だった。
コミック最終巻で詩暢は千早に敗れクイーンを失冠する。それでもブログ主にとってみれば、作中最強のかるた選手は若宮詩暢の他にはいない。「プロ」を名乗る重圧の中で、瞬間最大風速を振るうを相手をしのぎ切るには、数段上の力が無くてはならない。守り続けることは奪うことよりもはるかに難しい。
いつもながらの思い付きだが、今回は「勝ち続けること」、あるいは、「勝率」について横道に逸れて少し書き残しておこうと思う。あくまで大雑把な数字なので、試合というものの前提条件や算出方法については様々な意見もあろうがご容赦願いたい。
さて、五分五分、勝率50%ならば、5連覇の可能性は0.5^5=0.03125=3.125%、簡単には3%程度と言うことになるだろうか。勝率80%でのそれだと0.8^5=0.43768=32.768%だから、5連覇の確率は30%強だ。勝率90%の強者とすると0.9^5=0.59049=59.049%で約60%。せっかくだから、ほぼ負けなしという感のある勝率を99%まで上げてみよう。その場合の5回連続の防衛の可能性は0.99^5≒0.95099で約95%。10回連続防衛となるとその可能性は0.99^10≒0.90438で約90%になる。つまり、99%勝利と目される称号保持者がいたとして、それに勝利できる可能性が1%と予想される挑戦者との対戦だとして、称号保持者が5回連続挑戦者を退けることがきる確率は約95%、挑戦者側から言えば、5回対戦することで、1-0.95099=0.04901で4.9%ほどのタイトル奪取の可能性があるわけだ。さらに対戦が10回だと、1-0.90438=0.09562だから対戦勝率1%の挑戦者がタイトルを奪取する可能性はおよそ9.6%あるということになる。
勝率1%の挑戦者がタイトルに5回挑んだとき、タイトル奪取の確率は約4.9%、10戦したときだと約9.6%と聞いてその数字を高いと感じるか低いと感じるかは人それぞれかと思う。この確率についてだが、1%の確率がもつ心象(イメージ)という話題はしばしばネタ話にもされているので、100回に1回の割合でアタリを引くことができるくじの話を記しておこう。有名な話題なので、ああ、あれかと思われた方は以下の段落は読み飛ばされたい。
ブログ主はスマホをもっていないので「ガチャ」等はしたことはないが、「100回で1回アタリのガチャ」に当たるには何回くらい引けばよいだろうか。「100回引けば『論理上』は1回当たるはずだ」と言われればそういう気もしなくもない。これを実際に計算してみると、100回に1回当たるから、1回あたり99%はハズレになる。ということで、99%ハズレ×99%ハズレ×99%ハズレ…を繰り返していけばよいから、100回引くとすれば、ハズレの確率は0.99^10≒0.36603、ということで、100回引いてハズレが出る確率は約36.6%。ということで、アタリを引く確率は1-0.36603=0.63397、約63.4%ということになる。100回引いても4割弱の可能性でアタリは出ない。では、何回くらい引けばアタリが99%、ハズレが1%に逆転してくれるのか。今は煩雑な累乗の計算はGoogleが代わってくれる時代なので本当に助かる。ざっと450回くらいのようだ。1-0.99^450≒1-0.010860だから0.98914ということで、およそ99%の確率であたりが出そう、ということで、450回ほど引けばアタリの確率を99%近くに上げることができそうだ。
数字の話はこのあたりにして、人と人との対戦には数字を超えたさまざまな駆け引きがある。相性や感覚、そう言った客観的な数や言葉では表しきれない要素もあるだろう。数字通りにはいかないからこその面白さがあったり、まさに「何とも言えぬ」畏怖や畏敬を感じたりもする。また、数字通りにはいかないからこそ、希望もあるのであり,研鑽もするのだと思う。
ブログ主は競技かるたに全く詳しいわけではないが、自身に対して研究がなされ、対策され、その上で勝ち続けるには、それを凌ぐ膨大な試行錯誤や修練が必要だということは容易に想像がつく。加えて、どの競技であれ、タイトル戦というものは、受けて立つ側には負けて失うものがあり、挑戦する者には負けて失うものがない。あくまで心理的なものかもしれないが、対戦は数字上平等に見えて必ずしもそうでない一面を持っているのかもしれない。
コミック『ちはやふる』の登場人物である名人・周防久志のような「天才」の中には才能で勝ち続けられる人もいるのだろう。その周防が言っている。「自分(周防自身)のことは天才だと思うけど詩暢ちゃんはちがうと思う あれは努力の人だよ」


周防の言う通りであれば、詩暢は天才ではない。確かに詩暢は「それしかできない」と自認する人間が努力で勝ち取った頂上の技術と能力によって支えられている。
ならば、天才と努力、どちらか―。ブログ主は後者と思いたい。この時点で「天才」周防と「努力の人」詩暢が対戦したら、こおそらく周防に対して詩暢の方が分が悪いだろう。本編ではそれほど周防の力は驚異的なそれとして描写されている。しかし、如何なる天才でも天賦の才だけではいつしかそれは枯渇するのではないか。ブログ主には天賦の才などないので分からないが、そう思えてならないのだ。
コミックのストーリでは周防は視覚を失っていくわけだが、そうでなかったとしても周防が当時のままのかるたへの向き合い方であったらなば、いつしか枯渇した才能が積み上げた詩暢の努力の前に屈する日もくるかもしれない。もっとも、周防の性格や視覚的問題から推し量るに、10年後を描いているドラマ『ちはやふる―めぐり―』の世界では、周防はすでに競技かるたからは退いているだろう。無論、ただの推測に過ぎないが。
ともあれ、ドラマ『ちはやふる―めぐり―』に映し出された数秒の映像のお陰で、詩暢は千早に敗れたのち再びクイーンに返り咲いて永世クイーンになっていたことを知ることができた。詩暢の10年にはどんなものだったのだろう。そんな思いをめぐらせつつ、今作のドラマ『ちはやふる―めぐり―』の中で、あの「音のしないかるた」をとる最強無比の詩暢の姿をもう一度見てみたい気がしてならない。

